斉藤和義さんの「ずっとウソだったんだぜ」話。

高校時代から斉藤和義さんを聴いてきいてますが
まさか反原発の歌で斉藤さんが話題になる日がこようとはびっくりでございますーう。
 

個人的な感想は
これくらいで騒ぎになるってどんだけ窮屈な世の中なのとか。
原発って意見じたいはすでに歌以外では世にでているわけじゃん。
だから賞賛するべきはその斉藤さんの行動、って感じかな。


■曲じたい
・「シンガーソングライター」なんだから何歌ったって別に。
・元曲「ずっと好きだった」は資生堂CM曲用に斉藤和義さんが作ったもの。
 「CM曲としての仕事をきっちり『こなした』なあ」という曲で
 仕事をこなしたことはえらいけど斉藤さんの本領発揮の曲ではないと思ってます。
 (好きってことばをストレートかつサビはじめにさらっとのせるあたりがちょっと違う)
 というわけで、替え歌を作るとしたときにそんな「お仕事曲」
 を「あえて」セレクトして使ったというのなら、その感じは好き。
 全部わたしの妄想だから、知らんけど。
・曲もオリジナルにしないで替え歌にしたのは、諧謔的な観点から?なんとなく?
・ワーディングについては思うところがあるが、菊池成孔さんの4月10日分日記
 文章が的確すぎてもう私自身の言葉は出てこない。 
 「歩いて帰ろう」の新しいつかいかた!


■行動じたいに対して
・きっと私が想像する以上にあの行動は大変なんだろうと思います。
 CMクライアント絡むしね。そこはすごいと思う。
ミスチル桜井さんもそうだけど、
 自分で曲つくれるからこそすぐ反応できるんだよね。それはいいことだよね。
 

■もやっとなんとなく
・これだけ話題になるってことは、忌野キヨシロー時代のアレhttp://goo.gl/MXSit
 から日本の音楽もしくはマスコミ界かなんだかの自由がないのか
 自主規制がなんら緩和されてないのだろうなあということが逆に判明。
 ってかスポンサー問題でしょうけどね。ま、国それぞれいろいろあるでしょうけど。
・日本って(他の国のことあんまり知らないけど)政治を持ち込むの嫌いますよね。
 正直わたしもあんまり好きじゃないけど、それは歌で政治を語る人のセンスがだいたい
 アレだからであって、 民主主義的には政治ネタであろうと自由ではないか?と思います。
 むしろ政治のことがあまり語られないことで誰が得をするのか考えるべきかなと。


■菊地さん以外でいいじゃーんと思ったひと。
いきものがかりの人の意見このひと、なんかすてきですね。
さすがユニコーンを育てた原田マネージャー(現社長)がマネジメントするだけの人だわ。
このひとは斉藤さん個人と今回の曲とをちゃんと別にわけて意見を言ってるのに
この曲を賛同してないってだけでDISられてて大変ね。
物事分解して考えられない(全体側面とか)アホを相手にするのは疲れると思いまーす。

現在も軽く継続中の「自粛」ブームとか
こういう曲をかざむき次第で評価し、自分と反対意見の人を
正義をふりかざして批判するようなやつは消えてしまえ。

で、飛躍しているようにみえるかもしれないけど
定期的に読み返しているこの文章を今回も読み返してみた。 山形浩生さん訳の英誌エコノミストが書いた自由について
エコノミストの語るアナーキー?でさえある自由。
これを英語で読めるようになりたい。
けど、先にわたしの寿命が尽きて死ぬ予感がする。