震災後のダジャレ考

NYで911のテロが起きたとき、
911以降世界は変わった」といった趣旨の文章がいろいろあったような気がします(たぶん)。
でも、当時の私には実感がありませんでした。

でも、311東日本大震災を東京くらいの程度で被災した人の中には
911を経験したニューヨーカーはこんな感じだったのか…」
と思ってる人も日本に多いのかもなあと思います。



私もそのひとりです。


びっくりです。



まさか、自分がダジャレで癒される日が来るなんて。
たしかに(私の目から見た)世界は変わりました!

まあ、あのデーブ・スペクター氏のtwitterでのダジャレ限定ですけれども。

震災以降、その対応業務に日々追われながら
(いや、被災された方に比べれば平和と安全のきわみですけれども)
ぐったりしながら会社帰りの電車でみるデーブ氏のツイートに日々癒されておりました。

しかも、けっこう完成度高くね?と思いつつも意地(?)をはって
「ダジャレに癒されるなんて疲れてるな私。これをつまらなく思えたら私の311トラウマ克服完了だわ」
くらいに思ってました。

でも4月に入った今でもまだ癒される…
「癒し」って言葉嫌いだけど楽だからもうこれでいいや…

とまあぼんやり思いながら誰にも言わずに過ごしていたんですけれども。


教養があり
英語と日本語を話せる人がデーブ氏のtwitterを見ると感想の深みがぜんぜん違った!

冷泉彰彦「『移民という個』に救われる世界」  

「(前略)どうしてこの暗い日々にデーブさんのダジャレは輝いているのでしょう? 答えは単純です。ダジャレとして優れているからです。一つ一つが素晴らしいからです。どうして素晴らしいのでしょう。それは日本語と日本社会を徹底的に客観視した上で、正確いや精密な理解をしているからです。ダジャレという表現スタイルについてもそうです。無意識に聞いて育ったのではない分、意識的に研究してテクニックを磨き抜いてきたのだと思います。

 その作業は恐らく孤独なものだったと思います。ダジャレの能力が発展途上の段階でも、笑ってくれる日本人は多かったでしょうが、デーブさんが何を感じ、何を考えていたか、分かって笑っていたのではないと思います。「変な外人」の典型だとして「珍しい」ので笑っていただだったのだと思います。そんな視線に囲まれる中での孤独な作業がデーブさんの技量を磨いていったのでしょう。そうした努力の痕跡を「人工的な手つき」だとして、私は遠ざけていたことになります。

 失礼な言い方かもしれませんが、デーブさんの場合は「移民という個」が素晴らしいダジャレを生み出し続け、こうした暗い日々にあって日本人の心を慰めているのだと思います。いや「移民」というのは適切ではないかもしれません。私にはデーブさんのダジャレは、そのまま日本の文化の豊かさ、日本のコミュニティの健全さを象徴するようにも思われます。日本人以上に日
本人という域に達した芸だと言えるでしょう。私の場合は、過去に偏見を抱いていたことへの後悔も加わって、とにかく頭の下がる想いがするのです。」

冷泉さん、ベタ褒めじゃないですか…。


菊地成孔さんの日記を読んでいても
「ほんとうに人生を楽しみ遊び尽くすには教養が必要だわ…(遠い目)」
と思うことがよくあるけど、

デーブ氏のダジャレを楽しみ尽くすにも、いろいろ知性が必要だったか!

ちゃんと人生観が変わったというのにここまで読んでしまった人がいたら申し訳ありませんでした。